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「私には良さがわからない」という審査員と、どう付き合うか問題について

審査って何?

漫才のトップを選ぶ「M-1グランプリ」の採点について、審査員が付けた点数やコメントを巡り「そもそも点をつける資質があるのか」「お前の古いセンスで審査するな」等の糾弾が起こっています。

それを見ていると、「審査する者」と「審査に反応する者」の宿痾(しゅくあ= ずっと前から治らない病気)問題が、私の職業と共通すると思い当たりましたので、ここに書き留めます。

基準がないという真実

私は20年近くワインのバイヤーをしていますが、ワインや食品を含む「味の評価」というものは、「主観であるにも関わらず、権威やコンクールの影響を受ける」という点で、美術の評論や話芸の審査と似ています。

「○○専門誌で100点を獲得した!」「○○コンクールで最高評価」というニュースが出る度に、世界中で品切れになったり、価格が高騰するスター銘柄が生まれるのがワインマーケットです。

つまり、市場において、
「これは素晴らしい漫才だ」と
「これは素晴らしいワインだ」は、
「権威ある審査員の主観の影響力に依存している&市場における価値を左右する」という点で同じなのです。

そこで問題になるのが「評価者と消費者のギャップ」です。

意見が分かれた場合、真実はどこにあるのでしょうか?

結論を先に言うと、真実を求めても全く意味がありません。

主観の世界に「≫メートル原基」や「≫一秒の定義」にあたる基準がないからです。

え?基準がないのに審査してるの?

そうです。

だからこそ、属性が違う複数の審査員が必要であり、評価を総合することで、何とか人々の総意をまんべんなく反映した最適解(らしきもの)を(とりあえず)決めているだけのことなのです。

そんな仕組みで成立している市場へ向けて「私は、それは違うと思う!」と「私の基準」を正当化しようとしても全くの無駄です。

では、どうすべきか。

偏った主観の群れが審査するコンテンツに相対したときに、我々が付き合うコツとして意識するべきなのは、

「私はこの審査員と好みが合う」

「この審査員の視点には、気付かなかった発見があった」

「私には全く理解できないが、まわりの客はウケてて、へぇぇと思った」

「世の中にはこれを愛でる人がいるのか。私にはわからない世界があるらしいぞ」

・・・それでいいじゃないですか。

何故なら、世の中の喜びを全て理解しようなんて無理なこと だからです。

「自分の感性で喜べるもの」と
「喜べないけど、皆が喜んでるのを見て不思議がる喜び」で
世の中は編み込まれているんだ

と考えると、

この世界を構成する面白い模様が浮かび上がってきますよ。きっと。

「だって、この世界は私だけを喜ばせるために存在しているわけじゃないんですから」ね。

貴方が全く面白く感じない漫才に退屈している横で、爆笑している人がいる。

貴方が美味しくないと思うワインで、ご機嫌に酔っ払っている人がいる。

それが、この世界の豊かさを証明しているだけでなく、まわりと違う貴方が存在を許されている理由でもあるのです。

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